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善徳女王陵(ソンドッヨワンヌン・선덕여왕릉)
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| *エリア:慶州南山 *ジャンル:史跡/記念物/古墳・陵 *観光目安時間:40分
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韓国5千年歴史上初めて女王で王位についた新羅第27代・善徳女王陵 |
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この陵は新羅第27代王である善徳女王(在位:632~647年、金徳曼)が祀られた場所であります。慶州市東南側にあるナンサン(狼山)の南側稜線の中腹に位置しています。 全周74mの円墳で、高さ6.8m、直径24mになるこの陵の外形は土を丸く積み上げた形態をなし、下部には陵を保護するために2~3段からなる自然石の石築があります。他の陵に比べて規模が小さくなっています。
善徳女王は息子のいない真平王の長女として生まれ、新羅最初の女王となります。在位16年の間に、瞻星台や芬皇寺を創建し、新羅最大の皇龍寺九層木塔を建立するなど新羅建築の金字塔を打ち建てました。 また、太宗武烈王となった金春秋と、名将の金庾信といった人物を率いて三国統一の基盤を築きました。
「三国遺事」には、‘私はこの日に死ぬので、その時は忉利天に葬るように命じたが、
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群臣たちはそれがどこなのか分らず尋ねると、女王は狼山の南側だと言いました。その後に王が亡くなると、群臣たちは王を狼山南側の日当たりのいい場所に葬りました。その後33年過ぎた文武大王19年(679年)、王陵の麓に四天王寺を創建し始めました。仏殿には四天王寺の上に忉利天があるといわれ、その当時に善徳女王の霊妙な神聖さが分った。’と記録が伝われます。
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見学ポイント |
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●善徳女王
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姓はキム(金)で、諱はドッマン(徳曼)、雅号は聖祖皇姑、諡号はソンドッ(善徳)であります。新羅第26代の真平王の娘で、お母さんは摩耶夫人の金氏です。632年に真平王が息子がいないまま世を去ると後を引き継いで新羅最初の女王で即位しました。 634年(善徳女王3年)年号をインピョン(仁平)と直して芬皇寺を創建し、635年は唐に使臣を送って「柱国楽浪郡公新羅王」に冊封されました。638年10月に高句麗がチルジュンソン(七重城)を攻撃して来ると、11月に撃退しますが、642年には百済のウイザワン(椅子王)にミフ城など40余りの城が奪われます。 引き続き、百済と高句麗が謀議してダンファンソン(唐項城)を奪うことで羅唐(新羅と唐)連合軍の通路が切れて、百済にデヤソン(大耶城)まで陥落されます。 キム・チュンチュ(金春秋)を高句麗に送って救援を請じたが失敗します。
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634年にまた高句麗と百済の侵入を唐に訴えて援軍を要請し、翌年にキム・ユシン(金庾信)をヤッリャンジュ(押梁州、現在の慶尚北道慶山)軍主に任命して百済に奪われた城を回復するようにします。645年に唐太宗が高句麗に遠征すると援軍を送るが、百済に七つの城が奪われ、647年にサンデドン(上大等・新羅時代最高の官職)ビダム(毗曇)とヨムジョン(廉宗)などが女王の無能を言い立てで反乱を起こしたが、キム・ユシン(金庾信)などが押さえます。 女王は反乱中に病気で亡くなりますが、遺言によってナンサン(狼山)に葬ります。善徳女王は新羅が三国統一を成す基礎を確かめた力強い女王として評価されます。女王は内政では善政で施して民生を進めて救恤に力を尽くし、唐の文化も輸入しました。ジャジャンボッサ(慈蔵法師)を唐に行かせて仏法を輸入し、チョムソンデ(瞻星台)を建立しました。 百済のアビジ(阿非知)を連れて来て黄龍寺九層木塔を建立するなど様々な業績を残しました。
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DATA・・・・・
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| 文化財指定:史跡第182号
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| 住所:慶尚北道
慶州市 普門洞 山79-2
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| 주소:경상북도
경주시 보문동 산79-2
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| 電話:
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| 入場時間:
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| 入場料:
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| 駐車料:
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ACCESS・・・・・
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仏国寺行きの市内バスに乗り、「クァンサンマウル入口」で下車 |
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関連情報・・・・・
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