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感恩寺は、文武王(在位 AD
661〜681)が三国統一後に仏の力を借りて国を守護するためにお寺を建てますが、完成を見れず亡くなったのでその次の神文王(在位 AD
681〜692)が即位2年目(682年)にお寺を完成します。 父王の意図を受け継ぎながら父王の冥福を祈り、父の恩恵に感謝するという意味で感恩寺と名付けたといわれています。 現在は寺跡だけが残っていますが、従来の平地の伽藍配置から山地伽藍に、そして古新羅の一塔中心の伽藍配置から双塔一金堂に変わる過程において見られる最初のものであります。
東西に二つの石塔を建ててから、この二つの石塔の間の中心を通る南北線上に中門と金堂、講堂が建てられた形になっています。 中門は石塔の南側に、金堂と講堂は石塔の北側に配置されてあり、回廊は南・東・西側にその跡が確認され、また金堂の左右には東・西側の回廊に繋がる主回廊があったのが確認されました。
金堂の裏側にある森を過ぎて丘を登ると、寺刹の跡地と周辺の景色が調和をなす中で、高くそびえ立つ石塔を見ることができます。 感恩寺址は史跡第31号に指定されています。
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